深夜の真剣文字書き60分一本勝負で書いた掌編です。
使用お題:物語の中だけの存在
ジャンル:オリジナル、童話風、少年少女
■ 人食い狼 ■
それは、春を迎えたばかりの、まだ少し肌寒さの残る朝のこと。
女の子は早起きをしてお菓子を作っていました。
バターと卵と砂糖と小麦粉で作った生地に、イチジクと干しブドウをたっぷり混ぜ込んで、こんがり焼き上げたパウンドケーキです。
日が昇り空気が温まる頃には、甘い匂いが家の中に漂っていました。
女の子は焼き上がったケーキから湯気が立たなくなったのを確認すると、丁寧に布巾で包み、大きな木製のバスケットに、水の瓶と一緒に詰め込みました。
「どこかへ出かけるのかい?」
お母さんが訊ねると、女の子は「おばあさんの家へ行ってくるの」と笑顔で答えました。お母さんは少し顔をしかめました。おばあさんの家は、森を越えたところにあります。そして、森の中には昔から恐ろしい人食い狼が住んでいるのです。
「寄り道せず、真っすぐおばあさんの家へ行くんだよ。もしも人食い狼に会ったりなんかしたら、お前なんかあっという間に食べられちまうんだからね」
「大丈夫よ。私みたいな皮と骨だけのやせっぽちの子どもなんて、食べたって美味しくないもの」
女の子はそう言って、森へ出かけていきました。
春を迎えたばかりの森の中はにぎやかでした。
キツツキが穴を掘る音、コマドリのさえずり、その他さまざまな鳥たちの声が春の訪れを祝うかのようです。
その中を、女の子はとても楽しい気分で歩いていきます。
そして、日がちょうど中天に達する頃、女の子は花畑に辿り着きました。赤や白、桃色、黄色、オレンジ、紫……さまざまな色合いの花びらが、女の子を歓迎するかのように花開いています。
「お待たせ、狼さん」
女の子が声を掛けると、花畑の中から一人の男の子が起き上がりました。女の子に負けず劣らず痩せっぽちの男の子です。
「今日はケーキを焼いてきたの」
男の子は女の子の言葉に頷きはするものの、言葉は発しません。
女の子がケーキを包んだ布巾ごと男の子に手渡すと、男の子は無言で布巾を払い、出てきたうっすら茶色がかった小麦色の物体の匂いを嗅ぎ、すぐに齧りつきました。その途端、大きな目が真ん丸に見開かれ、女の子をじっと見つめました。
女の子は微笑みました。
「それ、ケーキっていうの。いつもパンとかお肉とかお野菜だから、たまには甘い物はどうかと思って」
男の子は、女の子の言葉を理解しているのかいないのか、頷き、そのまま食べ続けました。女の子は途中で水の入った瓶の蓋を開けて男の子に差し出しました。男の子は無言で瓶を受け取るとごくごくと水を飲みました。
「美味しい?」
男の子は頷きます。
でも、言葉が通じているのかどうか、女の子にはわかりません。
やがて、男の子はケーキを食べ尽くし、水の入っていた瓶が空っぽになると、それを女の子に返しました。女の子は無言でそれを受け取ります。
男の子は、女の子をじっと見つめると、その頬をぺろりと舐めました。そうして、両手を地面に付けると、そのまま2つの手と2つの足を使って森の奥へと走り去っていきました。
女の子はしばらく男の子が去っていった方向を見つめていましたが、バスケットに空っぽの布巾と瓶を仕舞うと、仰向けになって花畑に寝転びました。
「いっそのこと、本物の人食い狼がきてくれたらいいのに」