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深夜の真剣文字書き60分一本勝負:偏執的感情の行方

 

深夜の真剣文字書き60分一本勝負で書いた掌編です。

使用お題:両片思いの中間地点、月とチーズケーキ、不揃いの豆、息ができないほどに、囚われる

ジャンル:オリジナル、家族モノ

 

■ 偏執的感情の行方 ■

 

私が初めてチーズケーキというものを見たのは、両親が離婚した日でした。

もちろん、そのときの私には、離婚がどういうものなのか、などということはまったくわかっていませんでした。ただ、父が家に帰ってこない、というようなことを母から聞かされ、意味がわからないながらも、激しく泣きわめきました。母はそんな私を宥めようと、買ってきたチーズケーキで気を引こうとしたとか。しかし、私は自分の目の前に差し出された白い三角形の塊を、小さな手で力いっぱい床に叩き落としました。ケーキは無様に床に落ち、ひしゃげ、飛び散りました。私は、節分の日に撒いた豆を思い出していました。不揃いの白い豆が、茶色い床に撒かれている、そう、思いました。ふくわうち、おにはそと。ここにいる母は福だから家にいて、父は鬼だったから外に出ていってしまった、そんな風に思った記憶だけが残っています。

二度目にチーズケーキを見たのは、高校へ上がったとき。その日、私は父と会っていました。離婚してからも、数ヶ月に一度、父とは定期的に会う約束をしていました。母も承知の上です。そのとき入った喫茶店で、父が頼んだのがチーズケーキでした。私は、お父さん、チーズケーキなんか食べるんだ、というようなことを言いました。すると父は寂しそうに笑って、母さんの大好物だったんだ、と教えてくれました。昔は、ケンカするとよくチーズケーキを買ったし、誕生日とか、結婚記念日とかも全部チーズケーキで……あぁ、こんな話つまらないよな、ごめんな。私は曖昧な笑みを浮かべながら、両親が離婚した日のことを、あの床にぶちまけてしまったチーズケーキの姿を思い出していました。

そして、三度目。何の因果なのか、大学2年生の頃から7年付き合った末に結婚した男性が、ある日チーズケーキを買って帰ってきたのです。実はチーズケーキが大好物だと言って。甘い物が好きだなんて、恥ずかしくて言えなかった、そんなことを彼は言っていたように思います。けれど、私はそれどころではありませんでした。食べ物の好き嫌いなど、本来なら大したことではなかったでしょう。恐らく、それがチーズケーキでさえなければ、私はそうだったの、と普通に笑って、彼と一緒に仲良くそれを食べることができたことでしょう。

このとき、私は初めて気付きました。これまでの人生の中で、チーズケーキという存在を避けて生きてきたことに。それはもう病的なまでに、その存在を視界に入れないようにして、あるいは視界に入ってもないものであるかのように振る舞って、その存在を消し去っていたのです。

くだらない。くだらない。なんてくだらないことなの。

言葉に言いあらわすことができない不快な感情が、次から次へと喉の奥から胃の底から溢れ、今にも意味不明な声となって迸ってしまいそうでした。けれど、頬を伝う感触が涙だと、自分が泣いている、と気付いたとき、その言葉が耳に飛び込んできました。

月子、ごめん、ごめんな。大丈夫か、ごめんな。

私は涙に濡れたままの顔を上げ、彼を見つめました。

私の背中をさすっている大きな手の存在に気付きました。

違う、という言葉が喉まででかかって、嗚咽に紛れて消えていきます。

彼は何も悪くない、悪くないのに。

息ができないほどの思いが胸の中で渦を巻いて、私はひたすら泣きました。それほどまでに囚われていたのかと思うと、悲しいやら恥ずかしいやら情けないやらで、私は余計に嗚咽をおさえることができなかったのです。

それでも、泣きながらぼんやりと思考が定まってくるのがわかりました。母に、会いに行こうと思いました。会って、あの日のことを謝って、チーズケーキを、母が好きなチーズケーキを一緒に食べよう。あの日以来、母がチーズケーキを買ってきたことは、一度だってなかったのだと、ようやく私は気付いたのです。