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7's Library

小説書いたり本作ったり短歌詠んだり感想呟いたり

【第28回】短編小説の集い「のべらっくす」:消えた香りの行方を思う

締め切りギリギリですが下記の企画に参加させていただきます。

お題:桜の季節

ジャンル:現代、友情?

 

■ 消えた香りの行方を思う ■

 

「いつだれにもらったのか覚えてないんだけど」と、そんな風にして静香の話は始まった。

 

なんて言ったっけ? お風呂にいれるといい香りがするの。バスなんとか。

あ、バスアロマ。

それがさ、結構たくさんあったの。

引っ越したときに適当なところに、台所の下の、奥の棚に入れておいたからすっかり忘れてて。だからもう5年以上前だよね。

その中に桜の香りがするっていうのがあって、こーんな1cmぐらいの大きさの、ピンクの丸い粒。1回に5粒入れるって書いてあって15粒あった。

ふふ、まぁるい粒からはね、いい香りがしたんだ〜。桜の香りだったのかわからないけど、甘くていい香り。

でも、お湯に入れたらしゅわしゅわ溶けてそれで終わっちゃった。ちゃんと説明書通り5粒入れたのに、いい香りはしてこなかった。

変だよね。

どこにも消えるとこなんてないはずなのに。

入れるまではいい香りだし、入ってたプラスチックの袋にもちゃ〜んとそれは残ってるんだよ。

でも、3回とも桜の香りは、あのいい香りはしなくて、普通のお風呂のまんまだった。説明書には何も書いてなかったけど消費期限があったのかなぁ。

それを最後に、静香は水のペットボトルに口をつけた。喉を数回上下させ、口を離す。

「美味しい」

無表情に呟く。

桜のバスアロマの話をしていた静香は薄っすらと微笑んでいたのに。

静香の隣に立ち、彼女の話を聞いていた京子は、やはり無表情に、半分になった缶ビールに口を付け、ちびりちびりと飲む。
不意にまた、静香がしゃべりだした。

「桜が咲く頃になると思い出すの。誰かがあたしのために選んで、ラッピングまでしてくれて、誰かがきっとあのいい香りを楽しんでほしくて作ったのに、あたしの怠惰がそれを全部台無しにしてしまったんだなぁって」

そう語る静香の口はほころんでいる。

5階建てぐらいの微妙な高さのビル群が雑多に並ぶ都会の一角。その屋上で、静香は500mlのミネラルウォーターで、京子は200mlの缶ビールで、徹夜仕事の息抜きをしていた。

二人とも独身で一人暮らし。デザイナーとライターという職種の違いはあれど、徹夜仕事は慣れているし、それを憂う家族もいないことから、自然と夜の屋上で話すことが多くなった。

社内では仕事のこと以外話さないが、屋上に来ると仕事以外の話しかしない。特に静香はそうだ。彼女の話は唐突で、捉えどころがない。着地地点が見えない。けれど、京子はそれが嫌だったことはない。正直デザイナーという職業の人間が考えることはわからないけれど、その感性は面白いと感じている。

今回もそうだった。

会社の屋上からは桜は見えない。ここから見えるのはビルだ。しかも年数が経ってかなり薄汚れて寂れた雰囲気の微妙なビルばかりだ。

風はまだ冷たい。開花宣言はされたらしいが、靖国神社にある標本木という開花の基準となる桜の木が五分咲きになれば開花宣言は出るらしいので、近辺の桜が咲いているのか京子は知らない。

明日の昼前入稿の仕事が3日前に入り、それから朝家に帰ってシャワーだけ浴びてすぐ出社みたいな生活をしていて、周囲の景色を楽しむ余裕など、入稿準備ができた今夜が久しぶりだ。

静香も同じような生活のはずだが。

「桜、見たの?」

「見てないよ」

「見てないのに桜の季節なの?」

「明日のお昼入稿の、お花見特集だったじゃない」

「あー」

京子の反応に、静香が微笑む。

京子は話題をそらすように、あるいは戻すように、ビールをまた一口飲んでボソッと呟いた。
「バスアロマ、残念だったの?」

静香は首を横に振った。

「不思議だっただけ。あの香り、どこいっちゃったのかなぁって」

「どこも何も、お湯に溶けきっちゃって、空気まで持たなかったんでしょ。消費期限じゃなくてお湯の量が多かったんじゃないの?」

「……あ、そういう可能性もあるね」

京子は溜息をつき、残りのビールを飲み干した。

腕時計を見やればそろそろ4時だ。始発が動き出す時間まであと少し。

「京子、今度桜見に行こう」

「暇があればね」

静香は答えず、ビル内に通じるドアへと歩き出した。京子もそれに習う。

「そういえば、桜の香りってどんな香り?」

ふと、京子は静香に訊ねた。桜はかろうじて毎年見れているし、なんとなくはその香りを思い浮かべることはできたけれど、具体的な香りの想像がつかなかった。

静香は一瞬立ち止まった。

「……桜餅の香り」

「なにそれ」

静香はただ微笑んで、ビルの中へ消えた。

階段を下りる音が聞こえてきたところで、彼女なりのジョークだったのだと気付いたが、それはあまりにもあんまりだろう。